日本代表に土をつけた日本人選手

読売クラブ育ちで都並敏史(現ベガルタ仙台監督)とは親友、そんな戸塚哲也は実にユニークな過去がある。それは日本代表を破るゴールを奪ったはじめての日本人選手だからだ。ことの真相を簡単に説明しよう。現在も毎年行われる歴史ある大会キリンカップは、現在のようなAマッチではなく日本代表と欧米のクラブチーム、そして前年度の天皇杯王者が参加するのが通例であった。ということで1985年大会にはその前年天皇杯を制した読売クラブが参加するのだが、そこで注目されたのが日本代表選手で読売所属の加藤久、松木安太郎そして都並の3選手だった。日本対読売の試合のみ3選手を起用しないのはどうだろうか?日本代表としてプレーさせるべきだ、などの意見もあった中、結局彼ら3選手は緑のユニフォームでこのキリンカップを迎えたのである。

5月30日、西が丘サッカー場でその歴史に残る一戦は幕を開けた。この試合もっとも気迫あふれるプレーを見せていたのは間違いなく戸塚哲也だったろう。彼はかねてより「よりレベルの高い読売クラブでやった方が楽しいし、自分のレベルアップになる」という理由から日本代表辞退の意思を表明しており、当然この試合でそれを証明することに躍起だっていたに違いなかったのである。

ワールドカップ1次予選を無敗で突破した日本代表ではあったが、この日は相手が悪かった。与那城、ラモス、戸塚、川勝、パターソン、トレドなどといった豪華布陣に加え日本代表でもレギュラーだった3選手のいる読売クラブ相手では・・・。試合を通じて「やりずらかった」ともらす選手が多かった中、戸塚のモチベーションはそんなことをはるかに上回っていたようだった。0-0で迎えた後半33分与那城のパスを受けた戸塚の右足から放たれたシュートが日本代表ゴールに突き刺さったのである。

試合後当時の日本代表森監督の「屈辱以外何も残らない」という言葉がショックの大きさを物語っていた。「ミスマッチ」とも呼ばれたこの一戦で読売クラブの株はグンと上昇した。そして戸塚は森監督の説得によりこの年の10月メキシコワールドカップアジア地区最終予選の韓国戦で彼自身最後となる日の丸のユニフォームに袖を通す事になる。彼の実力は誰もが認めるところで、突然の代表入りにも反対する選手は誰もいなかった。

観客6万人の中で最も輝いた男

観客6万3196人と福田正博の関係って?福田の引退試合の総入場者数?ザンネ〜ン。
実はこの数字に89/90シーズンの日本リーグ2部リーグの211試合の総入場者数である。1試合平均なんと22人、ちなみに観客数不明の試合が29試合もあったことはお愛嬌か?

こんなあまりにも寂しい環境の中、このシーズン最も輝いていたのは三菱重工に入社したばかりの福田だった。しかし、彼が入団する前の三菱重工は楽観できる要素はまったくなかった。何といってもその体質の古さ、読売や日産が外国人選手を連れてきて好成績を収めたのとは対照的に純血主義を貫き、リーグ戦4度優勝の名門三菱の面影はそこから感じる事はできなかったほどである。

外国人のいない三菱の再建はいきなりのつまづきをみせた。開幕戦のホームでの住友金属戦でいきなりの敗戦、続くアウェーの京都紫光クラブ戦は4-4のドロー、そして第4節まで三菱はただの一勝すらもあげることはできずにスタートダッシュは完全に失敗に終わっていた。その三菱が浮上するきっかけとなったのは中央大学を卒業して入団した福田の類稀な得点力だった。チームの得点にほとんど絡んだだけでなく、新人ながら任されたPKをことごとく沈めチームの10連勝に大きく貢献したのである。

最終成績では三菱重工が優勝、福田は2位に9点もの差をつけてのダントツの得点王を獲得、チームを一年で一部リーグ復帰へと導いたのである。後にJリーグでも得点王を獲得する事になった福田の原点、そしてPK職人とまで呼ばれたPKの成功率の高さの秘密は、このシーズンにあったのかもしれない。

凍りついたミウラカズヨシという名前

お昼のひと時はやはり「笑っていいとも」に限る。毎回多彩なゲストで楽しませてくれるこの人気長寿番組にある人が登場した。司会者のタモリが「今日のゲストです。ミウラカズヨシさんです!ド〜ゾ」とお馴染みのフレーズで紹介する。外国語を日本語にしてクイズにするというコーナーで紹介されたのは紛れもないキング・カズ。しかしその名前を聞いたとき場内は一瞬にして氷のように凍り付いてしまった。

三浦知良の名前を聞いてサッカーファンならずしもピンとこない人はいないだろう。だから当然、場内が大歓声に包まれてもおかしくないのに・・・。実はこの時カズはまだ10代のブラジルへのサッカー留学生、ブラジルではもちろん日本でも知名度も低かった頃である。(一部のサッカーマニアと静岡県内のコアなサッカーファンくらいしか知らなかった頃)

更に不運な事に、この当時「ミウラカズヨシ」という名前=ロス疑惑の三浦和義だった時代、だから場内は一瞬して凍り付いてしまったのである。 さすがにこれを見たタモリはすかさず「あのミウラカズヨシが来る訳ないでしょ」とフォロー。そして次の瞬間、田原俊彦(チト古い)ばりのヘアスタイルの青年が登場して、そのコーナーも無事進行されたのである。今では絶対に有り得ないようなエピソードかもしれない。(いや、絶対に有り得ない!)

オッサンという一言に燃えた男

 
「口は災いの元」ということわざがある。
以前プロ野球の日本シリーズで、近鉄のピッチャーが思わず口を滑らせた。「相手(読売ジャイアンツ)はロッテより弱い・・・」それもそのはずこの時近鉄は3連勝で日本一に王手をかけていたからである。ところが、この一言が引き金となってその後巨人が4連勝で逆転優勝。こんな事を試合後のインタビューでわざわざ言わなければいいのに・・・と近鉄首脳陣が後悔したのも後の祭りであった。

さてさて、第71回天皇杯決勝。まさしくこの時のゴールデンカードとなったこの一戦、読売クラブ対日産自動車のカードはJリーグ開幕を目前に控えかなり注目されていた。(この試合、天皇杯決勝戦史上初の国立競技場が超満員となった試合でも有名)

その決戦を直前に控え、読売クラブのふたりの選手が深夜のスポーツニュースに出演した。元読売ジャイアンツの投手でもある司会者との話は大いに盛り上がっていた。しかし、ここである選手が口を滑らせてしまった。「(決勝の)相手はどこですか?オッサン自動車でしたっけ?」と飲み屋で話すようなネタを・・・しかも全国放送で披露してしまったのである。この「オッサン」という言葉を受けてある男が怒りに震えた。

そう、ミスター日産(ニッサン)木村和司。日産自動車一筋で、チームを日本リーグのトップにまで牽引した彼にとってこんな言葉は単なる冗談と聞き流せるはずもなかった。「ワシは怒っているでぇ〜」と、誰もが近寄り難いほど木村の目の輝きはいつもと違っていた。カズの加入で日本一の人気チームとなった読売との対戦、ただでさえ燃えるこの伝統の一戦に例の「オッサン」という言葉で木村のモチベーションは沸騰寸前であったことは想像するにたやすいことである。
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